やはり、こうなってしまったのか…という感が強い。
ウイルスとの戦いは、長きにわたり、先が見えず、為政者は、「ただ自粛しろ、耐えろ!」と国民に強いてきた。
市民の中には、不信は募り、断絶は起こり、制御は効かなくなり、全国新規感染者数は2万人超えの日々。
ただ、ここで冷静にならなければいけないだろう。
感染者数だけに目を向けず、重症者の割合が重要と思える。
ワクチン接種の浸透とともに重症者の割合は減っているのは確か。
これまでの方針は、大きくは間違っていなかったろう。
変異株の影響が思いのほか大きかった。
ただ、感染者が増えるに伴い重傷者も当然増加している。
方向転換は、必要だし、転換したから、これまでを否定することでもない。
今後、我々は、コロナと共に生活していく覚悟は必要だろう。
コロナはなくならない。
もう、周りのどこに感染した人がいて、自分もいつ感染するかわからない。
疑心暗鬼に陥り、殻を作り、活動する人を非難し続ける時期は過ぎていると思えるのは私だけだろうか。
もう、経済だけでなく、教育や文化の面でも、これ以上の社会生活を抑え続けるのは、悪影響が大きすぎる。
自分や身近な人に感染するのは当然だという認識が必要だろう。
これまで我々は、行動を制限し、感染防止に努めて、時が過ぎるのを待ってきた。
ディフェンス一辺倒から、攻めに入る時期に来ているのではないだろうか。
医療体制の構築が急務だろう。
なんで今まで、できてないのだ?というのが疑問であり、怒りさえ覚える。
民間の医療機関の多くは、院内感染を恐れ、新型コロナ患者の受け入れを拒んでいるのが現状ではないか。
へたに新型コロナ患者を受診したせいで、風評被害により、小さなクリニックなどは経営存続も危ぶまれるという、なんともお粗末で物悲しくなる世の中である。
院内での感染者の蔓延により、医療体制が取れなくなる。だから受け入れを制限せざるを得ない。
これは当然の主張のようにも思えるが、果たして、それが医療機関としての義務を果たしているといえるのか。
必要な治療を行わない医療機関に存在価値はないだろう。
これからの医療現場では、新型コロナの患者と他の患者との共存を避け続けることはできない。
感染が増加することで、重症者も増える。
ハード、ソフト両面での整備が急務だろう。
すべての医療機関が、医師の責任の下、診断と加療を行う。
それが、なぜ、これまで、できていない。
ありがたいご意見を日々発信していた感染症の専門家も、それを盲信した政治も、予測できなかったのか。
医療機関もなるべくなら、負担やリスクを負うことなく、経営を続けたいだろう。
しかし今やらねば国が傾く事態だと思える。
今後の行政の使命に他ならない。
医師会という組合が、政治と結びついて、重要事案を阻害しているのではないか、という疑問を持つのは私だけだろうか。
国家予算の40パーセントを超える社会保障費。
さらに、予備費からコロナ対策として数兆円が使われる。
この巨額の税金を生かすも殺すも政治であり、それを選ぶのは私たち、有権者である。
選挙は近まっている。
いまだ、感染者数の増減だけにこだわり、批判、言い訳に固執する者がいるかもしれない。
いったい誰が、どの政党が、コロナは終息はしない世の中で、納得できる政策を用意できるのか、特に注目したい。