全体主義体制

見えない敵に対して勝利するために、全体主義体制となった世界。
そろそろ、次のステージを見据えた方がいいのかもしれません。
「欲しがりません、勝つまでは」と、誰もが必死に耐えています。
しかし、次第に緩みが出てくる頃でもあります。
ちょっとくらいならいいだろう。息抜きも必要だ。
何かと理由を作り、動きを始める人が出てくる。
サービス業は、喜んでそういった人を受け入れるでしょう。
私たちも、生きていくために仕方ない、と考えて。
でも、それを許さない人も出てくる。
やがてレイシストの台頭。
そしてデマゴーギー、ポピュリズムが浸透し始め……。
歴史を繰り返してはいけない。
国民の気持ちも疲弊しています。
不満を誹謗、中傷へ転化し、攻撃の対象を探し始めます。
そのとき、政治はどう動くのか。

今回、経済的被害を受けているのは、サービス業。
飲食、交通、宿泊は壊滅的です。
国や自治体からの援助を期待し、今はじっと我慢して、乗り切ろうと考えている人も多いかもしれない。
しかし、いかに強大な国家でも支えきれるでしょうか。
今回、この戦いには明確な終わりが見える気がしない。
たとえ、新型コロナウイルスからの脅威が消えたとしても、いつ何時新たなウイルスが発生しないとも限らない。
私たちは、人との接触、大人数での移動や会合、接待を伴う飲食、こういった行為の危険性が刷り込まれてしまったのではないでしょうか。
果たして、元のような生活に戻れるのか。
もはや、レジャーや外食という行為はリスクを伴うものだという意識が生まれてしまったかもしれません。
もしかしたら、不特定多数の人が集まる場での飲食が社会悪と認識されてしまう。
これまで私たちの生活で普通に行われてきた娯楽が、まるで人目を忍んで行われる性風俗産業のようになる可能性もあるのです。

もう、社会の仕組みそのものが変わっていくのかもしれません。
あらゆるサービスの形態が変わらざるを得ないかもしれない。
果たして時代の変化に、誰がついてこれるのか。
もしかしたら、産業革命波の急激な変化が今後起こるのかもしれない、という気もしています。
今後、どういう変化があるにせよ、繁栄する者と淘汰される者が出てきます。
これまで政府は、専門家の意見に従う形で、方向性を決めてきました。
右往左往し、後手に後手に。
しかし、この先は、政治が主導しなければいけない。
正義を振りかざす者、ひたすらパンドラの箱を開けようとする者が出てくる。
流されずに、本当に国の将来、国民の生活のための施政を実行できるのか。
日本の政治の真価が問われるときが来ている気がします。

コロナウイルス

先の見えぬ不安、得体の知れないウイルスに対する恐怖。
私も、これほど長引き、影響が大きくなるとは思っていませんでした。
国としての対応は、これまでも、現在も、間違ってはいないのか、検証はまだ先のことになるのでしょうが、いつかは方向転換をしなければならないのではないでしょうか。
感染者を懸命に押さえ込もうとしている状態ですが、果たして、終わりはあるのか。
このウイルスを根絶させることは可能なのでしょうか。
もしかして、感染者の増加を鈍化させることは、結局は収束を遅らせているだけではないのでしょうか。
やはり、国家が本気で行うプロパガンダは強力ですね。
もはや、外出や人との接近が犯罪であると感じている人も多い。
たとえ、一旦収束に向かったとしても、自粛を緩めればまた感染拡大が始まるかもしれない。
終わりの見えない消耗戦をいつまで続けるのか、局面は近づいているかもしれません。
抗ウイルス薬やワクチンがどこまで期待できるか、そこもはっきりしないし、情報が遅すぎる。

私がわからないことのひとつに、なぜ、これほどまでに国が主導しなければいけないのでしょうか。
もっと医療機関に責任を持たせることがなぜできないのか。
多額の国家予算がつぎ込まれている医療分野。
それに保護されている形の医療機関に、こんなときこそ、検査、診断、投薬という流れを判断、実行させていいのではないでしょうか。
アビガンが有効らしいというのは、私は2月の初め頃には話を聞いていた。
治験だ、安全性だ、と話しだけは飛び交っていますが、この薬は何年も前に、安全性が確認され、抗インフル薬として承認された薬ではなかったでしょうか。
医師の責任において、検査を行わせ、陽性者に投与させてなぜいけないのでしょう。
有名なコメディアンや、女優さんも、もしかしたら命を落とさずにすんだのかもしれない。
私は、専門家でもないし、こんな考えは間違っているのかもしれない。
でも、何か、おかしい、そんな気がしてなりません。

国が一元に管理したことで、追求が遅れ、被害を大きくしたという過去を日本はもっているではありませんか。
全国で頻発した公害問題。
調査を行政が主導した。
結果、何かよくわからない風土病としてうやむやにしようとした権力者の意思が膨大な数の被害者を出しました。
何かこのときの流れと似ている気がするのは私だけですか。
もしそうなら、何十年たっても、多大な犠牲の上得られた教訓も、役になっていないことになるのですが……。

とにかく、これから、国の舵取りは大きな局面を迎えるでしょう。
経済への打撃は壊滅的です。
国民の疲弊も大きい。
今後はいつ、どうやって回復させるかが焦点となっていくはず。
何のために、あれほどまでに耐えたのか、国民の不満は些細な引き金で爆発します。
抑圧された感情を抑え込むのではなく、昇華させなければ、病気の流行より恐ろしい危機を迎えるかもしれません。