日本は消滅した

私は、日本という国は、太平洋戦争で敗北した時に消滅したのだと思っています。
何を言っているんだ、ちゃんと日本という国がある、われわれ国民が存在しているじゃないか?
そう反論される方は多いでしょう。
しかし、国として必要なものをいくつか持ちえません。
日本という国は不完全なままなのです。

国の代表がどのように決められているか、これで国のあり方は大きく変わってきます。
共和制国家であれば、代表は大統領です。
国民一人一人の直接選挙で選ばれた、国民の代表である大統領は強大な権力を持ちます。
アメリカを見ればよく分かります。
いかなる批判にさらされようとも、「私はアメリカの代表である」と撥ねつけることが出来るのです。
もちろん独裁を避けるため、いろんなブレーキが用意されてはいます。
しかし大統領は、自分の意志を国家の意志と置きかえて、国を運営することが出来るのです。
もちろんメリット・デメリット両方存在するでしょう。
しかし、今の日本よりはましだと思えます。

日本の代表は誰ですか?
安倍総理ですか?
違います。彼は自民党の代表です。国会の議席を自民党が一番多く獲得しているから、自民党の代表である安倍さんが総理大臣を兼務しているのです。
彼は国会議員の代表で、行政のトップの職についているだけなのです。
国会議員というのは国民が選挙で選んだ人たちの集団だから、間接的にであれ、総理大臣は国民の代表と言えなくはないかもしれません。
しかし、自民党内で選ばれただけの人であり、大統領と比べると、その行使できる力の差は歴然です。
日本の代表は「天皇」なのです。
しかし、敗戦後、日本は立憲君主制をとらされました。
イギリスの政体に代表される「国王は、君臨すれども統治せず」の原則にのっとっています。
だんだん訳が分からなくなってきます。代表者は存在するだけで何もできないのです。

日本を誰が統治しているのですか?
「憲法」です。
敗戦により、日本の国民の意志を取り入れることなく作られた「日本国憲法」に統治されてきたのです。
優れた憲法だとは思います。
ですが、統治者としては不完全であり、だから私は日本は消滅し続けてきたと感じるのです。
「憲法」はしゃべることも動くことも出来ません。
だから、選挙で選ばれた政治家が、憲法の代わりに、憲法に従い、国民の総意に沿う形で国政を運営しなければいけない。
これが日本の民主主義です。
このシステムに、最近私はイライラが募るのです。
民主主義の悪い面が顕著に見えるのです。
明確な意思決定がなされず、問題の解決ができない。
拉致問題、原発問題、高齢少子化、…山積みの問題が放置されているだけではないですか。
立憲君主国家の代表とも言える、イギリスもひどい有様ですね。
EU離脱に関して、幾度も繰り返される議論、同じことを繰り返し続けるだけで結論を出せず、時間だけが過ぎていく。
他の国のことは、この際どうでもいいのです、日本はそろそろ本格的に変えなければいけないのではないでしょうか。
このままでは、日本という国家は、本当に消滅しかねないのではないかと心配になります。
では、どうすべきなのか…
次回考えてみたいと思います。

世の中で一番大切なもの

世の中で一番大切なものはなんでしょう?
個人では、人それぞれで違ってくるかと思います。
家族であったり、健康であったり、お金や名誉だという人もいるでしょう。
では、世の中全体で考えたなら、一番大切なものとはなんでしょうか?
たとえば、私たちは教育のなかで命は大切だと教えられてきました。
「人の命は地球より重い」
日本赤軍の日航機ハイジャック事件のとき、犯人側に屈して多額の身代金を支払い、更に服役囚を釈放するという選択をした、当時の福田首相の言い訳の言葉です。
確かに命は大切です。しかし世界全体を俯瞰すると、人の命とは意外と軽いものかもしれないという気もします。
世界の人口は約75億人、毎日15万人以上が亡くなっている。
人の命は日常的に失われるのです。

世の中全体レベルで考えると、人の命はどうも一番ではない気がします。
大切なものはいろいろあるでしょうが、一番は?と問われたときに、私は「国益」になるんじゃないかと思います。
私が勝手に考えているわけじゃなく、世界の国はだいたい国益第一です。日本もそうです。
外患誘致罪という罪があります。「外国と通謀して日本国に対し武力を行使させ、又は、日本国に対して外国から武力の行使があったときに加担するなど軍事上の利益を与える犯罪」とされています。
これは刑法のなかで最も重い罪で、刑罰は死刑のみです。
人一人殺しても懲役5,6年で済んだりするのに、外国と通じて日本を危険にさらせば、絶対死刑なのです。

人の命は何物にも代えがたい、命は平等だと言いながら、時に国は、戦争では何百何千の命を平気で奪います。
重大な犯罪を犯せば、死刑に処されます。
誰もが勝手に人を殺せば国は滅びかねない、だから人を殺してはいけないということになっているだけなのじゃないでしょうか。
国を守るため、国益のためなら人の命はそう重くはないのです。
世の中の仕組みはこの「国益」に沿って作られているということは、ちょっと考えると腑に落ちることが多いです。

前置きが長くなりました。
沖縄の基地問題が何でこんなにこじれるのか。
国防のため、アメリカとの関係のため…。
国を動かすくらいの政治家であれば、そうした国益を守るためなら、沖縄の自然やら、そこに住む一部の人の生活などは軽視することになる…
そういう意識は当然のこととしてあるはずです。
それが国政のスタンダードなのです。
しかし、これは間違っても言葉にはできない。
沖縄を大切にと口では言います。しかしやることは正反対です。
言葉と行動が全く異なるなんてことは、政治家にしてみれば当たり前のようものです。
しかし、これが原因でもめるのです。
為政者は正直なことは言えない、反対勢力もそれが分かっていて攻撃する。
分かっているから、攻撃も本気にはならない。
分かっているのかいないのか、真剣に支援し活動する人もいるからややこしい。
沖縄の人々は、期待して失望して、翻弄され続けてきました。
過去に、国益の重要性をあまり理解していない鳩山という総理は、何の根拠もなく「最低でも県外」と約束しました。
守られるわけありません。
そんな政権が長続きするはずもなく、分解した後に盤石の体制を築いた安倍政権は、あからさまに国益第一の政権運営をすすめています。
国益に関わることは、政治パフォーマンスに利用してはいけないのです。だからこんなにこじれてしまったのです。
「国益第一ではあるのだけど…」、これを前提に、もっと早くに解決策を探っていれば違っていたのかもしれません。沖縄には同情します。
お国のためなら、犠牲はやむを得ない。
政治家は口には出しませんが、この原則は間違いなく存在します。だから今後も何も変わらない気がします。
実は世論はあまり力を持たないのです。本土の人にとっては、やはり人ごとです。「国が危うくなりますよ」これを突きつければ黙り込むのがわかっているからです。
でも実は人ごとでもないと思わないといけないでしょう。何かあったときには、たとえば人権など、私たちが重要で大切に守られるものだと信じているものは、実は薄く軽いものかもしれないのです。

思いもよらぬ長期政権

安倍首相の首相在職日数が歴代4位になったそうで、思いもよらぬ長期政権を築きあげてきました。
政権はまだまだ続きそうで、今年の11月には歴代最長記録を塗り替える予定でもあります。
在職日数1位という、歴史に名を残す首相となるんですね。
約1年で失脚した一次内閣から返り咲いたことを考えれば、この人は人望はあるのでしょうね。

何でこれほど盤石の地位を続けてこられたか。
まず第一には、野党の力の無さ。
どうしようもないですね。
本来政治は、保守とリベラルの対決という構図があり、その代表政党が競い合うのが普通だと思います。
しかし日本は、保守自民党以外の力が弱すぎて、仕方なくという感じで自民党内でリベラルな発言者を出してバランスを取っているような気さえします。
野党は対抗できる政策を出せずに、とりあえず政策に反対する、反自民の姿勢を取る、だけに終始しているような気がしてなりません。

そして第二には、マスメディアの不甲斐なさだと思います。
今、世間でのニュースは、雑誌に芸能なり政治なりのスキャンダル記事が載る、それをテレビが追随して独自取材を付け足して、何となくしゃべり上手で映像受けするコメンテーターを用いて展開するというパターンじゃないでしょうか。
内容は安直なものにならざるを得ません。
戦後にカストリ雑誌という言葉がありました。
カストリというのは、戦後の混乱期に出回った密造焼酎の名称です。
粗悪な製造法であったため、飲むと悪酔いして、3合飲めば潰れてしまうと言われました。
それに引っかけて、エロやグロを基本とした低俗な雑誌、3号出版すると潰れるような記事の載った雑誌をカストリ雑誌と呼びました。
現代で人気のある週刊誌も、ちょっとインテリ風ではありますが、カストリ雑誌に近いものです。。
雑誌の記事から始まるスキャンダルは、切り取られ、誇張され、騒ぎ立てて、時には国会でも取り上げられ、国政に影響を与えます。
政治家も、どこに記者の目や耳があるか分からず、思うようにものも言えない時代ですね。
雑誌が主導するマスコミ。これはこれで、抑止力となっていいのかもしれません。
しかし、低俗な話題で世間が騒ぎ、メディアに仕立てられた悪者が社会的制裁を受けるのに満足している間に、知られず進められる、または葬られる話題もあるのではないでしょうか。

日本を動かしている大きな力に、長州閥と呼ばれるものがあります。
明治維新で強大な力を持った薩長土肥。
その中でも薩摩と長州を中心に権力争いは続けられ、西郷隆盛は失脚し西南戦争で死に追いやられ、大久保利通も暗殺されて、長州が日本の覇権を握ることとなりました。
それ以来、日本国の運営には長州出身者が絡んでいるのです。
安倍首相の祖父の岸信介、その弟の佐藤栄作などは分かりやすい長州出身者です。
何も長州出身者が結束して、排他的になり、日本を牛耳ってきたというわけではありません。
長州閥は日本の政治経済を動かす組織力の一つの象徴です。
政治経済の有力者たちは姻戚関係で結びつきを強め、一見無関係に見えても、誰と誰が東京大学の同級生などと複雑に絡み合い、結びついている。
そして、彼らは日本国運営のノウハウや思想を閉鎖的ななかで受け継いできているのです。
良くも悪くも、おかげで安定しているのです。
彼らの結びつきや水面下の活動などマスコミは無関心です。
たとえば、原発問題を取り上げてみましょうか。
安倍総理は昔、神戸製鉄に所属する会社員でした。
その神戸製鉄は東京電力の原発設備を多く受注しています。
安倍さんと対立しているスタイルの石破茂さんの娘は東京電力に就職しています。
こういう結びつきは見えやすいほうです。
あらゆる形で電力会社と自民党は結びついています。
そして、巨大な献金と利権がやり取りされ、絶対に原発はなくなりません。

分かりやすく食いつきやすいスキャンダルだけでなく、根深い結びつきの構図をもっとマスメディアは取り上げてもいいのじゃないでしょうか。
そして実は、メディアが失墜しているとなげいている私たちの責任も大きいのです。
メディアが低俗なのは、それを求めている市民が低俗だということなのです。