資本主義

資本主義社会の中で、経済的な不平等は絶対になくならない。
政治と経済は親密に結びついています。きれいごとを言っても仕方ありません、政権運営で重要なことは、国民の反感を大きく買わぬ程度に格差社会を進めていくことなのじゃないでしょうか。
バランスが崩れた時に、政治がうまくいかなくなります。
どうも最近の安倍政権は、行き過ぎ傾向ですね。
足を引っ張る者も多いです。やはり驕っているのでしょうね。
現政権の寿命もそう長くないのかもしれません。
いつごろ、どういうかたちで終わらせるのか、その段階に差しかかっているのかもしれません。
残念なのは、どうしても、野党にまかせようという気になれないこと。

今の野党勢力には、資本主義国家を運営することは出来ないと、私は思います。
私は、社会主義を完全否定するものではありません。
経済的に平等な社会は、悪くはないと思います。
贅沢とは無縁だけど、毎日夕方7時には、家族みんなで食事を囲む、「貧しいけれど、楽しいわが家」。
皆同じ生活をしているなら、別に貧しくもありません。
同じような仕事量を与えられ、同じような賃金をもらい、同じような娯楽を楽しむ。
広い家もない、高級車もない、海外旅行もない、そのかわり、ノルマや時間外労働に苦しめられて仕事することもない、必死に子供にお金をかけて高学歴を与えなければならない理由もなくなる。
幸せな社会かもしれません。
しかし、実現できるはずありません。
分かっていながら、格差社会だけを問題にし、不平等を政権の責任として攻撃する。
たとえ、今の野党が政権を奪って、もし本気で彼らの唱える社会を実現しようとするなら、財界と天下り先の確保に熱心な官僚の反発を受けて、崩壊するのは目に見えています。
結局国民が失望して終わるだけです。

せめて我々は、監視しようではありませんか?
大きく政治形態を変えることは出来なくとも、一つ一つの行き過ぎた社会の動きをけん制することは出来ます。
憧れられるべき成功者は、おおむねストイックであり、自分を厳しく律しているものです。
企業の目的とはなんでしょう?
利潤の追求でしょうか。それはもっともだと思います。
しかし、その先にあるもの、正しい企業理念とは、社会への貢献にあるはずです。
いいものを作り、いい人材を育て、適正に稼いで、その利潤の一部を社会に還元する。
資本家の豊かさは、多くの労働者の働きのおかげであることを忘れてはならないはずです。
乗りもしない高級車を何台も保有したり、芸能人と付き合ったり、派手に露出する事を好む経営者もいますね。
最近ある企業の最高経営責任者は、膨大な額を私的に流用した疑いで、逮捕拘留されましたね。
経営者なりの重圧に苦しんでいる対価として、ある程度の贅沢は許されるとしても、それが誰かから搾取したものであると自覚しなければいけないはずです。
政治家も同じです。
彼らの地位は多くの国民の期待の上に成り立っているはず。
既得権益者と結託し、その利益を守るために奔走し、見返りを得る者があれば、私たちは見過ごしてはいけないのです。
最近、一部の政治家の傲慢さが目立つようになりました。
あい変らず続く不適切発言。
しかし、これらにいちいち反応するのも馬鹿馬鹿しい。
言っていいことと悪いことの区別も付けられない無能者は、とっとと去ってもらえばいい。
それよりたちが悪いのは、今の時代の支配者層であり続けることしか考えない人達です。
その中には、言葉も世渡りも上手な人が多いです。
目立つ言葉狩りや、SNSの炎上にばかり騒ぐのではなく、彼らの発言や行動から透けて見えるものに注目したいものです。
自分たちが去った後のビジョンを考えられる人でなければ、為政者となってはいけないのですから。
驕れるものは久しからず。理解してもらわなければいけません。

新元号

新しい令和の時代がはじまりました。
元号は何でもいいでしょう。
この令和の時代がはたして、よかったのか悪かったのか、それはあとの時代に判断されることです。
しかし、予想をするなら、厳しい時代になるのかもしれないな、と私は思っています。
一番の理由は、少子高齢化です。
はるか昔に予想できていたのに、何でこうも手を打てなかったんでしょうね、この国は。

平成の時代を振り返りましょう。
変わらない自民党政権の時代です。
途中で、何となく時代の流れに乗って、細川護熙氏をかつぎ上げた日本新党が取って代わり、ちょっとかき混ぜます。
彼らが空中分解して、自民党政権を強化させます。ナイスアシストでした。
ここで強大な力を持った小泉政権が一気に日本を格差社会に変化させます。
さすがに、国民の不満が高まり、自民党政権は一時崩壊。
また、何となく時代の流れに乗って、民主党フィーバーが起こり、この勘違い政治家集団によって(すべての民主党議員がそうだとは言いません)、日本は混乱します。
徹底的に国民の不信を買った民主党のナイスアシストにより、また安倍政権という強大な自民党政権が生まれました。
安倍政権は上手にやったなというのがこれまでの印象です。
だいたい、たいしたことはやっていないのです。
アベノミクスって、そんなにすごいことですか?
冷静にみれば普通の政策です。
これを、革新的な景気対策だと宣伝する政府、うまい具合に乗っかって成功だ失敗だと騒ぐ野党にマスコミ。
こうやって、うまく目くらましして、重要事を先送りにした、議論を避けた、国民の関心をミスリードした、これが平成の自民党政策です。

私は、アベノミクスくらいで日本経済がうまくいくとは思えません。
日本は資本主義国家です。
資本主義って、何か知っていますか?
貧乏人がいるから、金持ちが存在できる社会なのです。
過去、先進国は、途上国の安い労働力を使ってきました。
安く作って高く売る、資本主義の原則です。
先進国で高く売られた服の報酬は、本来途上国の労働者が受け取るべきものですが、この利益を移動する(搾取する)ことで経済はうまく動いたのです。
虐げられる印象の途上国ですが、経済格差があるから、途上国の国民も先進国の仕事をすることで、自分の国より高い報酬を受け取るとり満足できたのです。
しかし、グローバル化が進みました。途上国にも優秀な人材は育ち、彼らはその才能を自国の発展のために使うようになりました。
世界の経済格差は縮まったのです。
じゃあ、経済をうまく動かすにどうするか。
世界の先進国は、自国に経済格差を作ることを選んだのです。
日本では、小泉政権が頑丈だったため、労働者派遣法の改悪などで、非正規労働者を大量に生産し、うまく経済格差を形成させました。
多くの国民は不幸になりましたが、こうして日本経済はしのいできたのです。
貧乏人がいないと成り立たない資本主義経済。
この逃れられない原則を、誰もはっきり言わずに、政治経済を論じてきた気がするのです。
経済対策によって、景気全体を底上げして国民生活を豊かにすると、まやかしの政策でごまかしてきた与党。
経済格差を是正するべきと声を高く上げながらも、その先のビジョンを語らない野党。
ツケがもう、限界にきているのじゃないでしょうか。
さらに追い打ちをかける高齢少子化による生産性の低下。
令和時代の先行きの暗さに慄然とします。
絶望していても仕方ありません。これからの日本はどうしたらいいのか、考えなくてはいけません。

国家意思について

国家は、個人と同じように意志を持ち、行動すべきだと思います。
現代の日本という国はあまりに意志が薄弱で、国家意志など無いに等しいと思われるのです。
国家の意思決定は国民の総意によってなされるべきものです。
大統領は、国民一人一人の選挙によって選ばれた国民の代表です。
大統領の権限は、国民の総意であると言えるのです。
日本のように、明確なリーダーを持たない国は、国の意思決定を「世論」に頼らざるを得ません。。
しかしながら、いったい日本の国民の中に、政治的に冷静な判断をできる人がどれだけいますか?
世論は不安定過ぎるのです。
選挙権は平等に与えられています。
しかし、政治には興味ない人、話の上手な人に何となく同調してしまう人、挙句の果てには、顔が好みのイケメン議員だから支持しようか、なんて考える人もいるのです。
結果、そういう適当な人たちの政治的関心は、一部の頭のいい人たちによってうまくリードされ、、世論はつくられていきます。
情報の一部だけを流布する。
一部を誇張して伝えることで全体像を隠す。
世論を誘導することは、現在の安倍政権下だけではなく、長く続けられてきたことです。
国を自分たちの都合のいい方向に動かすということは、財界政界の権力者にとって、最も重要な課題なのです。
最近の勤労統計調査の不正問題は、珍しく表面化しました。
あれは、へたくそ過ぎでしたね。
リサーチを作為的に行うなんてことは当たり前のことで、気にかけるほどのことでもないと思っていた官僚たちがしくじった結果、珍しくニュースになってしまいました。
強い基盤を築いている自民党政権でも、情報操作によってブレる世論のご機嫌を取りながらの政権運営なのです。

日本にはリーダーが存在できません。
こんな状態のなかでも、国家の存亡がかかる局面がいずれ来るのではないでしょうか。
ポピュリストたちが一気に台頭するかもしれません。
特定の圧力団体を基盤にもった政治家は、その団体の利益を尊重するでしょう。
有事のとき日本に、真に国を救おうと考える政治家がどれだけいるのでしょうか。
局面に立たされた時、真のリーダーを持ちえない日本は、バラバラになるかもしれません。
もしかしたら、リーダーが現れるかもしれません。
しかし、緊迫した状況下にあらわれたリーダーは、時として危険です。
ヒトラーも、ドイツ国民の圧倒的な支持を得て選挙で選ばれたリーダーでした。

まだ、平和であるこの時代に、少しでも、日本を守る努力をしていくためには、憲法改正を真剣にすすめていかなければいけないと私は思うのです。
やはり日本を統治するのは憲法です。
日本を正しい方向に導く指針として、時には誤った方向を向かおうとする為政者のブレーキとして、真にふさわしい憲法づくりを考えていかなければいけないのではないでしょうか。
国民を他国にさらわれても、助けにも行けない国、社会主義国に囲まれて、なめられて、何もできずアメリカにお願いし続けるだけの国。
軍隊を持つべきだと、簡単に言うつもりはありません。
しかし、現憲法という統治者は、9条を含め、時代にそぐわない面が多々あると思います。
その不備な部分に頭を押さえつけられ、自由を奪われた国には、どう考えても未来はない気がするのです。