新型コロナ

過去は風化していく。
あれほど苦しめられた新型コロナも、次第に過去のものとなっていっているようだ。
あの時は大変だったね、と笑っていては、我々に未来はないと思う。
振り返ってみると、ターニングポイントがいくつかあったと思う。
世界のコロナとの戦い方は、大きく二つに分けられたように思う。
中国のゼロコロナのような政策。
国民の行動に強い制限をかけた。
人権や自由を侵害してまで感染拡大を抑え込もうとした。
反してスウェーデンでは、自粛の要請も出さなかった。すべてをほったらかしにした。
日本では個人の自制心に頼り、自粛の要請をし、よく言えばバランスを取り、悪く言えば中途半端な政策に終始した。
面白いのは、これである程度の成果が上がったということだ。
狙ったのかどうか、判断のしようはない。
だが、結果がすべてであるというなら、評価していいだろう。
ワクチンの効果もあり、ウイルスは弱体化の様を見せ、終息に向かっている。
未知なる敵と手探りで戦った訳で、どうしても結果論となってしまうが、日本は勝ち組かもしれない。
ただ、将来への修正は必要だろう。
一つ私が気になるのは、この騒動で前線で戦った人たちは医療関係者だろうが、注目すべきは保健所職員ではなかろうか。
この保健所職員が、大きく振れたと思う。
絶望的な状況の中、懸命に戦った者もいれば、早々に敵前逃走した者もいた。
所長級の者をはじめ、コロナ過で退職した事例が報告されている。

公務員の数は、条例で決められているのだ。
かつて小泉政権下で、公務員削減の動きが始まった。
長引く景気低迷の中で、公務員の定数は減少を続けているのだ。
少ない定数を補填するため、臨時職、非常勤で補ってきた。
公務員は質、量ともに劣化しているのだ。
この悪影響が、今回のコロナで露見したと思うのは私だけだろうか。
あまり報道されていない。
しかし、役人が国を支えているのは事実なのだ。
行政にしかできないことがある。
このことは、我々は忘れてはいけないと思う。
政治家など、選挙に負ければ無価値なのだ。
長きにわたって私利私欲なく、民のために尽くす政治家は少ない。
民主主義で政治を維持していくためには代議員制は最も有効だろう。
しかし、この制度を支えるのは役人だと思う。

次、何か、我々国民の生活を脅かす災厄が起きる前に、国の土台を見つめなおす必要が、私はあると思っている。

物価上昇

異常な物価上昇は国民の家計を圧迫し続けている。景気は緩やかな回復傾向が続いているようだが、業種間での格差が大きくなっているようだ。
コロナ過から脱却したことでサービス業は活性化しているが、人材不足に悩まされている。
いったん削減した雇用は、いざ元に戻そうとすると、かなりの無理をしなければならない。
業種をまたいで雇用の取り合いとなっているようだ。
自然と人件費は上昇し、これは他業種にまで波及し、雇用側を苦しめている。
もともと人で不足であった、医療、介護、福祉、保育などの分野では、人材が他業種にとられ、さらに苦しめられているようだ。
そこに介入してくる、人材派遣業、人材紹介の業者は、弱みに付け込む形で派遣の時給がうなぎ上りになっているようだ。
働く側も、縛られず、自由に職場を選べる派遣という働き方になじむ人が多いようだ。
しかし、余力を持っていないところは、高騰する人件費でつぶされる。
資本主義経済の中では常に競争しているわけで仕方ないのだが、どうも最近はひずみが大きくなってきている気がする。
介護や保育や福祉、どちらも弱者を相手とするサービスだ。
手軽な働き方は、責任感が希薄になる。
結果として重大事故につながるのではないか。
こういうひずみは、突然バランスが崩れる時が来る、これが怖いのだ。
安易な働き方、安易な関係での雇用、これでうまくいっているうちはいいだろう。
しかし、経済は上下する。
内閣の支持率も低下気味だ。
何かのきっかけで、政治と経済がひっくり返り混乱する時期が近付いている気がしているのだ。
こんな混乱を望み、そこに台頭しようとする勢力は存在する。

私たちは、とにかく目先の利に動いてはいけないのだ。
いかにも自分についた方が得になると説く者がいるだろう。
安易に乗ったらあとで痛い目を見ると気づかなければいけない。
これまで、原油をはじめとする資源の高騰、半導体などの原材料の不足、長引くウクライナ紛争に対する不安、あらゆる混乱する要素が多かった。
これが回復していくはずだという期待、そして、それが裏切られた時の失望。
批判は無策であった政治へと向かうだろう。
そしてその混乱の中には、救世主が現れがちだ。
偽物も現れる。
必ず、私達ならうまくやれる。
失われた生活を取り戻してみせる。
果たしてそれは実質を伴っているのだろうか。
レトリックではないのか。
しっかり見極めなければいけないだろう

ゼレンスキー

G7が終わり、まあ、あんなものかという気がしている。
ゼレンスキー大統領の電撃訪問というサプライズがあり、成果をアピールしている風であるが、各国がこれ以上戦争に真剣に取り組むことはないのかもしれないなあ、というのが私の感想だ。
ゼレンスキー氏は、さらなる支援を求めている。
各国は、ある程度それに応えていくだろう。
しかし、アメリカは絶対に軍を派遣することはない。
ロシアと直接、事を構えれば、米ロ戦争は核戦争に繋がる。
ヨーロッパはEUという枠組みの中で、一枚岩ではない。
ウクライナ支援に不満を表明する国もあるのだ。
長く続く支援は自国の経済を圧迫する。
戦禍が長引けば、こうした各国の揺れはますます大きくなっていくだろう。
我々国民の関心が低下すれば、それは加速していくだろう。
G7とは、この関心をつなぎとめる大きな舞台だったのだろうと思う。
成果があったのか、どうか、正直私は分からない。

戦争を終わらせたくない勢力は確かに存在している。
ロッキード・マーティン社は武器を製造し、ブラックウォーターは兵士を派遣する。
その規模は大きい。
戦争はもうかるのだ。
世界のどこかで常に紛争は続き、軍需産業は何十兆という市場を生んでいる。
もし、世界から紛争がなくなれば、世界は失業者であふれるかもしれない。
我々日本の現在の繁栄も、過去の戦争のおかげという見方もできるのだ。
太平洋戦争で敗北し、ボロボロになった日本経済を救ったのは、朝鮮戦争によってアメリカから大量に物資や製品が発注された朝鮮特需だったという過去がある。
戦争が長引き、激化し、多くの人が死に傷つくほどに、企業は大きな利益を得る。
この企業に銀行や投資家は投資する。
運用された利益は経済全体を潤しているのだ。

ロシアを非難し、早期の和平を望むと声をあげながら、この戦争で多くの利益を得ている勢力は多く存在する。
私たちも知らずのうちに、間接的に戦争に加担しているのかもしれない。
あなたが銀行に預けたお金が、または投資信託に任せたお金が、軍需産業に運用されていないとは断言はできないのだ。

私たちは考えなければいけない。
調べなければいけない。
正義の定義は曖昧だ。
しかし、戦争の長期化によって、圧迫される景気に苦しむ人々と、経済活動の一つとして利潤を得る人が混在する世界はいびつだ。
何よりも命の危機にさらされる人々がいる。
関心をなくすことだけは許されない。