国葬

安部元首相の国葬が執り行われた。
その是非は別として、論ずるものの資質を見るによき機会だなと思った次第だ。

まず、なぜ政府は国葬を決めたのか
これは岸田総理が主導したと思えるが、「外交に利用したい」に尽きるのだと思われる。
政治的スケジュールを各国と調整し、死去から2か月後にセッティングしたのだろう。
私はうまいやり方だと思ったが、これを快く思わない人はもちろんいるだろう。

さて、この国葬に異を唱える人は、何を求めているのであろう。
反対の意思を示すことが目的なのであろうか。
一部の有識者と呼ばれる人が、法的根拠がないと述べている。
国会での審議を経ずして、国の儀式を執り行うことは違法ということであろう。
政府内の話し合いだけで決めてよいということを認めれば、今後何でも閣議決定で何でもやれるということになってしまう、という理論であろうか。
分かる気はする。

さて、国葬にふさわしい人物なのか、についてはどうなのであろうか。
確かに問題の多い人ではあったのかもしれない。
モリカケ問題はいまだ記憶に新しい。
旧統一教会との関係性も問題であろう。
ただ、これは政治家にとっては、避けられない部分があるのかもしれない。
政治家というのは、担ぎ上げられる存在である。
周辺にはあらゆる人物が集まる。有象無象が跋扈するのである。
そういう人を集めてしまうのも政治家の資質によるものだと言えるかもしれないが、それらの中には、無下にもできぬ人や団体は存在するだろう。
総理大臣という地位にとどまり続けるために、清濁併せ飲まねばならないのが実情だろう。
モリカケもカルト教団も、周りの者が起こした不祥事案件なのかなという気はする。
安部氏自身がどこまで認識していたのか分からない。
分からないから、国葬とすべきではなかったのかなという気はする。

問題もあったかもしれないが、功績も大きかったと私は思う。
成果は別として、この人は取り組んでいる。
日本はいまだ戦後から脱却できていない。
敗戦国として、制限され、憲法に縛られ、強くなれていない。
目指す国家の形は見えていたのかなと思う。
憲法を改正し、経済を強くし、防衛力を高め、強い外交のできる日本。
道半ばで倒れた。
しかし、ここまで手掛けることができたのは、この人ならではと思うし、その遺志は継いでもらいたい。
日本のためを思い、尽力した人物だと思う。
人としての温かみも感じられた。
政治家らしく、死しても国政に巧く使われる、そんな記憶に残る人だなと思う。
そしてこの、良くも悪くも、これだけの影響力を持った人物が亡くなったのは、残念だなと思う。
なるべくなら、日本のために、よいところを、誰か遺志を継いでもらいたいと思う。