宗教団体

宗教団体と、政治との結びつきがこれほどに根深く不適切なものであったとは、さすがに驚いている。
ポロリポロリと、小出しするように、公表する政治家たち。
支援してくれるなら、その背景にはさほどこだわらず受け入れようというのが政治家の姿勢であろう。
しかし、何の見返りもなく、政治信条に賛同するからただお金を差し出す、という奇特な人がどれだけいるというのだ。
旧統一教会は、カルトであろう
世の中は単純に黒か白かに分けられないとは分かっている。
しかし、この団体は、ほぼ黒であろう。
関連団体として正体を隠し、政治に近付いたのか。
政治家はよく知らなかった、今後は関係を改める、として幕引きを図っている。
この問題は、自浄機能が働かないのだ。
与野党ともに何らかの団体と関係を持っている。
支持団体をどこまでが白いとするのか線引きが難しい。
公明党にとってはこれ以上ことを大きくしたくないのは自明であろうし、共産党も背後に全労連や同盟や組合など叩かれたくない団体がいる。
どのような団体であろうと、強靭になるためには、会員と資金を増やす必要があるのだ。
今回、級統一教会が注目されるが、宗教だけではないのだ。
とにかく、あらゆる政党、団体が、願わくば、旧統一教会だけが叩かれて、早く幕引きしたいのだ。
私が不信感というか、気持ち悪いと感じるのは、旧統一教会と政治との結びつきを論じるメディアは目に付くものの、政治と各種団体の結びつきを広く公表し、その是非を論じようとするものが見当たらないことである。
いい機会ではなかろうか。
利益団体(圧力団体)は存在し続けているのである。
一覧は誰でもネット上で見れるのだ。
これらが、どれだけ政治に影響力を持って、それだけ国民全体にとって有益であるのか、検証してもいいではないか。
行えば、クレームがおびただしいのだろうなという予想はつく。
安部元首相暗殺直後のメディアの及び腰の姿勢が語っている。
しかし、この情報化社会である。
主要メディアができなくても、誰かが広く議論の場を設けることは可能であろうと思う。
今後、政党がどれだけ支持団体との関係性を見直せるか、今回の騒動の幕引きへの姿勢次第で、支持率に大きな影響を与えてほしいと思っている。
本来、この問題は、岸田政権を揺るがすべきものだと思うのは私だけだろうか。
今後、級統一教会との関係を断ちます宣言で終わらせていいのか?
政治と金の問題を論じるときは、何か事件がある度であり、その当事者だけを追求し、パフォーマンスに終始する。
だから大きく変わりはしないかったし、今後もそれを続けるというのだろうか。
内容にもよるが、スキャンダルを、たまのガス抜きとしてはいけないと思うのだ。
とにかく、どう収まるのか、あまり期待はできないのだが、注視していきたい。

 

民主主義

民主主義が崩壊しかけていると感じる人は多いだろう。
昨今の政界情勢は、いかにもプーチンや習近平、金正恩のような社会主義独裁者が民主主義を脅かすという図式と捉えがちだが、そう単純ではないように思える。
自由な選挙によって指導者が選ばれ、権力の濫用を許さず、議論を経て意思決定がなされる民主主義がいかに脆く、我々民主主義国においても、独裁者が台頭しえることを感じさせるのだ。

巨大な企業や組織は、巧みな手法で国民の生活を監視し、その意識を操作する。
ビッグデータとAIは、人心を扇動する重要なツールなのだ。
その大きな力をバックグラウンドとした政治家は資金力を武器として、支持者を優遇し反対勢力を抑圧しながら支持を広げていく。
いつしか大きな権力を手に入れる。
現代の侵略はこのプロセスを踏むのだと考えられる。
思えば、長州閥と呼ばれる人脈により、政権を動かしてきた日本の政治も似通っているではないか。
水面下で深く複雑に結びついた政治と怪しげな団体。
これはカルト集団の構造と同じではないのだろうか。
経済界や銀行、マスコミや教育界にまで、その組織の人間は、工作員のごとく侵入し、情報操作を行い、国民意識を左右する。
韓国で、繰り返し流行する反米、反日という気運など、まさにこれであろう。
高度な手法ではないにせよ、それなりに人心をそらし成果を上げている。
他にこうげきすべきそんざいをよういしておけば、中枢は安泰でいられるのだ。
こんな小さな我々が気付かない、策動は存在する。
そうやって、時間をかけて積み上げた権力は、いつしか個人の手に移り、その人物は巨大な営利団体の支持により支えられ、国を動かす。
これを民主主義国家で実現させたのがトランプ元大統領ではなかったのだろうか。
しかし、道半ばで挫折した。
やはり、民主主義世界ではこのタイプのリーダーは存在しえないのだろうか。
こんなリーダーが必要だとは言わないが、元より世の中の善悪など曖昧なものである。
黒いものも白いものの存在しえない、ひたすら灰色の染まる現世界で、圧倒的な指導者として君臨しているのは、社会主義勢力のリーダーなのだ。
それでも民主主義が崇高なものだと信じたい。
しかし、その存在価値が揺らぎかけているのも事実であろう。
我々は、過去の教訓から、国民主権によって国の進む方向性は国民の意思により決めるべきだと定めたのだ。
それをひっそりと覆そうという動きが目立ってきてはいないだろうか。
一握りの権力者とその周辺の者が謳歌する世の中であってはならない。
だから、我々にも民主主義に支えられた新しいリーダーが必要なのではないだろうか。
この混沌の世界の中で、早くその存在を見たいと願っている。