新型コロナについて思う事

新型コロナの終息はいまだ見えず、政府の対応も感染封じ込めと、経済対策の板挟みにあって、中途半端にならざるを得ない。
メディアは、専門家に語らせたり、責任を回避できる程度に好き勝手にしゃべるコメンテーターを連れてきたりで、結論を出すのが難しい問題を面白おかしく取り上げることに終始する。
医療の分野の人は、感染は広めない、という大前提で主張を振りかざす。
それは彼らの正義であり、仕方ない。
経済や社会的貧困、人心のことなど別の話であり、彼らには関係ない。
確かに感染が爆発的に広まれば、医療現場はひっ迫し、従事者は相当の被害を被るだろう。
その危機感は理解できる。
ただ、将来起こるかもしれない不安を極度にあおり、他の策を排除しようとする姿勢が果たして社会にとって有意なのだろうか。
ワクチンの承認は目前に迫っている。
もし、このワクチンが、期待されるほどの効果を持たなかったら、どう対応するのだろう。
サービス業を中心とした経済の自粛活動は、行えば感染者は減少するだろう。
しかし緩めれば、また増加する。
繰り返すうちに、長く、ひどく疲弊し続けるはずなのです。
国の借金だけでなく、民間の借金も増え続けているのではないだろうか。
借金は、質の悪い投資に姿を変えて、世の中に浸透していたりする。
ある日、救いようのない経済の崩壊が始まらなければよいと思うのは私の杞憂だろうか。

65歳以上、基礎疾患を持った方の自粛要請がやっと出された。
私はこれが最も有効な手段だと思っているし、もっと強く出せないのか、今頃か、という思いが強い。
人種隔離政策、これが今回の新型コロナ対策で最も有効な手段ではないかと思っている。
人種隔離という言葉に、差別的な意味は全くない。
年齢、個人の健康状態、生活パターン、家族構成、こういったカテゴリーで、国民を区分し、感染した場合のリスクの高い人々を隔離に近い状態で守るべきではないだろうか。
健康な若年層は、たとえ感染しても重症化するリスクは低い。
こういった人たちが、通常の生活を送ることで、自然に感染は浸透し、終息も自然なものになるのではないだろうか。
普通に飲食やサービスを楽しんで差し支えないのではなかろうか。
インフルエンザでも、大流行すれば一日2万人ほどの患者が出る。
感染した人は自主隔離に近い状態で療養し回復を待つ。
一定数は重症化することは経験値によってわかっている。
今回の新型コロナで、徹底して対策するべきは、高リスク者に限ってよいのではないだろうか。
外出や人との接触を避け、終息をみるまで自らの身を守る。
行政もそこに重点的に対策をとる。
やむを得ずこういった人と接触せざるを得ない、家族などは当然同じように徹底して感染対策をとらなければいけないだろう。
職業として、高リスク者と接しざるを得ない、医療や介護福祉の従事者は、当然のこととして完全に行動を制限されなければいけないだろう。
極力人との接触を避け、外出や、外食をやめる。
相当な負担になることはわかっている。
だからこそ、こういった人たちに、慰労金、感謝金として、ひとり100万でも200万でも支給すればいい。
国民全体で我慢し、不安を抱え、対価として補償をばらまく対策がどれほど有効なのか、私は疑問でならない。

もちろん、素人の論であり、やればやったでうまくいかない面はあるかもしれない。
でも、とにかく国民総出で、取り組もうという全体主義の方法はいくらなんでも限界がある。
しかし、こういった方法をとっていない以上、検証することもできない。
ならば、いま進められている施策が正しいと願いたい。
あとあと、政治が後悔し、国民が責任を負うことがないことを願いたい。