介入

ようやく、という形で、日銀が為替介入に踏み切った。
いよいよ日本は追い詰められた、と思われる。
この介入は一時しのぎの効果しか望めないだろう。
誰もがそう思っている。
今後、ドルを売る動きは現れないだろう。
日本が単独で円を買い、ドルを売る資金は、そうはないはずなのだ。
日銀は国債購入で失敗している。
どれほどの余力があるのだろうか。
今後、米国が金利上昇をさらに進めれば、ドルの値段は上がり続ける。

円安で利益を出す仕組みを構築しなおさねばならないだろう。
輸出企業を活性化させる。
海外からの旅行客を取り込み、インバウンド消費を増やす。
多くの原材料を輸入に頼ってきた日本である。
今後、加速するインフレへの対応も急がねばならない。
国民の家計が苦しまないように、手を打ち続けねばならないだろう。

などということは、為政者は当然承知のことだとは思う。
しかし、何かずれているという政策がみられるのはなぜだろうか。
住民税非課税世帯に5万円を支給する。
電気、ガス、食料品などの高騰に対する支援としてである。
悪くはないと思う。
しかし、非課税世帯の8割は65歳以上の高齢者なのだ。
この中には、たくさんの資産を持ってリタイヤした富裕層もある。
富裕層ばかりではない。
年金のみで生活する高齢夫婦二人暮らしだとしよう。
夫が妻を扶養に入れている場合、夫の年金が211万円以内、妻の年金が155万円以内であれば、非課税世帯となるのだ。
個人事業主についても生活費を上手に経費に乗せて申告し、非課税となっている人は多々いる。
町村民税非課税世帯を低所得者対策に用いることは間違っているのだ。
何故直さないのだろう。
日本の財政が豊かなら許されるかもしれない。
しかし、結局本当に困窮している世帯に、うまく援助が回らないではないか。

アベノミクスが成果を出せなかった要因の一つに、既得権に踏み込めなかったからだと思う。
持てる者が優遇され、必死でその資産にしがみついて守っている社会に、正しい豊かさと社会保障は実現できない。
日本は、少子高齢化が続いていく。その社会において、子どもたちは将来の日本を背負っていく大切な存在なのである。子どもたちを育てる環境を国が支援できなければ、国は亡びる。
高齢者をないがしろにしろと言っているわけではないのである。
民主主義の日本で、高齢者の票が大半を占めてしまっている。
どうしても高齢者の意向が強くなるのだ。
民主主義を超越して、政治を行う必要があるのだ。
誰かがやらねばならない。
皆が思っているより、日本は後がないのである。

国葬

安部元首相の国葬が執り行われた。
その是非は別として、論ずるものの資質を見るによき機会だなと思った次第だ。

まず、なぜ政府は国葬を決めたのか
これは岸田総理が主導したと思えるが、「外交に利用したい」に尽きるのだと思われる。
政治的スケジュールを各国と調整し、死去から2か月後にセッティングしたのだろう。
私はうまいやり方だと思ったが、これを快く思わない人はもちろんいるだろう。

さて、この国葬に異を唱える人は、何を求めているのであろう。
反対の意思を示すことが目的なのであろうか。
一部の有識者と呼ばれる人が、法的根拠がないと述べている。
国会での審議を経ずして、国の儀式を執り行うことは違法ということであろう。
政府内の話し合いだけで決めてよいということを認めれば、今後何でも閣議決定で何でもやれるということになってしまう、という理論であろうか。
分かる気はする。

さて、国葬にふさわしい人物なのか、についてはどうなのであろうか。
確かに問題の多い人ではあったのかもしれない。
モリカケ問題はいまだ記憶に新しい。
旧統一教会との関係性も問題であろう。
ただ、これは政治家にとっては、避けられない部分があるのかもしれない。
政治家というのは、担ぎ上げられる存在である。
周辺にはあらゆる人物が集まる。有象無象が跋扈するのである。
そういう人を集めてしまうのも政治家の資質によるものだと言えるかもしれないが、それらの中には、無下にもできぬ人や団体は存在するだろう。
総理大臣という地位にとどまり続けるために、清濁併せ飲まねばならないのが実情だろう。
モリカケもカルト教団も、周りの者が起こした不祥事案件なのかなという気はする。
安部氏自身がどこまで認識していたのか分からない。
分からないから、国葬とすべきではなかったのかなという気はする。

問題もあったかもしれないが、功績も大きかったと私は思う。
成果は別として、この人は取り組んでいる。
日本はいまだ戦後から脱却できていない。
敗戦国として、制限され、憲法に縛られ、強くなれていない。
目指す国家の形は見えていたのかなと思う。
憲法を改正し、経済を強くし、防衛力を高め、強い外交のできる日本。
道半ばで倒れた。
しかし、ここまで手掛けることができたのは、この人ならではと思うし、その遺志は継いでもらいたい。
日本のためを思い、尽力した人物だと思う。
人としての温かみも感じられた。
政治家らしく、死しても国政に巧く使われる、そんな記憶に残る人だなと思う。
そしてこの、良くも悪くも、これだけの影響力を持った人物が亡くなったのは、残念だなと思う。
なるべくなら、日本のために、よいところを、誰か遺志を継いでもらいたいと思う。

宗教団体

宗教団体と、政治との結びつきがこれほどに根深く不適切なものであったとは、さすがに驚いている。
ポロリポロリと、小出しするように、公表する政治家たち。
支援してくれるなら、その背景にはさほどこだわらず受け入れようというのが政治家の姿勢であろう。
しかし、何の見返りもなく、政治信条に賛同するからただお金を差し出す、という奇特な人がどれだけいるというのだ。
旧統一教会は、カルトであろう
世の中は単純に黒か白かに分けられないとは分かっている。
しかし、この団体は、ほぼ黒であろう。
関連団体として正体を隠し、政治に近付いたのか。
政治家はよく知らなかった、今後は関係を改める、として幕引きを図っている。
この問題は、自浄機能が働かないのだ。
与野党ともに何らかの団体と関係を持っている。
支持団体をどこまでが白いとするのか線引きが難しい。
公明党にとってはこれ以上ことを大きくしたくないのは自明であろうし、共産党も背後に全労連や同盟や組合など叩かれたくない団体がいる。
どのような団体であろうと、強靭になるためには、会員と資金を増やす必要があるのだ。
今回、級統一教会が注目されるが、宗教だけではないのだ。
とにかく、あらゆる政党、団体が、願わくば、旧統一教会だけが叩かれて、早く幕引きしたいのだ。
私が不信感というか、気持ち悪いと感じるのは、旧統一教会と政治との結びつきを論じるメディアは目に付くものの、政治と各種団体の結びつきを広く公表し、その是非を論じようとするものが見当たらないことである。
いい機会ではなかろうか。
利益団体(圧力団体)は存在し続けているのである。
一覧は誰でもネット上で見れるのだ。
これらが、どれだけ政治に影響力を持って、それだけ国民全体にとって有益であるのか、検証してもいいではないか。
行えば、クレームがおびただしいのだろうなという予想はつく。
安部元首相暗殺直後のメディアの及び腰の姿勢が語っている。
しかし、この情報化社会である。
主要メディアができなくても、誰かが広く議論の場を設けることは可能であろうと思う。
今後、政党がどれだけ支持団体との関係性を見直せるか、今回の騒動の幕引きへの姿勢次第で、支持率に大きな影響を与えてほしいと思っている。
本来、この問題は、岸田政権を揺るがすべきものだと思うのは私だけだろうか。
今後、級統一教会との関係を断ちます宣言で終わらせていいのか?
政治と金の問題を論じるときは、何か事件がある度であり、その当事者だけを追求し、パフォーマンスに終始する。
だから大きく変わりはしないかったし、今後もそれを続けるというのだろうか。
内容にもよるが、スキャンダルを、たまのガス抜きとしてはいけないと思うのだ。
とにかく、どう収まるのか、あまり期待はできないのだが、注視していきたい。